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9/22日@インド/ニューデリー
GOGOKengoーーー!!けんちゅあんです。
帰って来て半月、まだお腹が下り龍です。
1日目、インドについてからのお話です!!
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インドはビザを取らないといけない。
アライバルビザ(到着して空港で取れるビザ)を取るために入国審査ゲートの手前にある階段の下の窓口で手続きをする。ゆーてもやることは目的地や日数を書くだけ。
窓口の係員さんがむちゃくちゃ雑で遅いこと以外何も不便はない。
その間に色々な日本人(そのビザはほぼ日本人専門なので日本人がここに集まる)と話せた。
ヨガでインドに10日いるひと、すぐに国内線でジャイプールへ飛ぶひと。色々おる。
そうしていくうちに最初の心の重さはだんだん薄くなって行った。
空港から出ると湿ったような生暖かい空気が体を包み込む。
タクシーの呼び込みはそこまで酷くない。
さぁ、ここからどうやって本日の宿、<サンタナニューデリー>に行くのか。全く検討がつかない。
基本調べないで行くのが藤森の旅スタイルだ。
色々な人に聞いた回った。そうして色々な人と話していると現地のだんでぃーな15歳と17歳の子らと仲良くなった。
彼らは父さんの出迎えらしい。名前をカーンと言うらしい。「フェイスブックで友達になろう!フルネームで教えるから後で調べてみて!」と言われ名前をメモする。
後で宿のwifiでFacebookを調べるとカーンカーンカーン。同姓同名の人が何百といてまったくわからずじまいやった。
そっから教えてもらったメトロでニューデリーまでむかった。
駅に向かう途中に目があった男と仲良くなる。最初は”Hi”の挨拶から始まる英語の拙いぎこちないコミュニケーション。
それでも優しい彼は話を聞いてくれた。
彼はニットシューズのデザイナーをやっていて、結婚もしてもうすぐ赤ちゃんができるらしい。
インドでは孫の名前をおばあちゃんが決める伝統で結婚相手も親が決めるみたい。お嫁さんは22歳、彼は24だった。
電話番号も教えてくれて、ニューデリーまでわざわざ降りてついてきてくれて、リキシャ(バイクの後ろに屋根付きの座るとこがついてるバイクタクシー)の値段交渉までしてくれた。
50ルピーで決まり乗っけてってくれることが決まった。
「ニューデリーに帰ってくるときは必ず連絡するから」とまた今度と約束して彼とバイバイする。
夜のニューデリーはどこか不気味だった。リキシャに乗るとすぐ変なとこに連れて行かれた。
その連れて行かれた駐車場にはメガネをかけたおっさんがいた。
「これからお前が向かおうとしてる場所は危ない。政治的な問題が今敏感なんだ。」
それが彼らのぼったくりの常習手口だった。
「友達がいるぞ!」と先ほどの彼の電話番号を見せると解放してくれた。
インドでは最初からこんな感じだった。
そんなこんなでやっとサンタナの部屋に着く。出迎えてくれたのは日本語の話せるバイトのインド人にいちゃん。
上に行くと日本人のアフロもいた。
腹が減ったのでレストランに行く。一人で通りを通って行く人たちを見ていると笑顔になっていた。
『この人たちにとってはここがずっと住んできた場所であり地元なんだ。今日もここでこの人たちは生活を送っている』
そんなことを思うとなぜか幸せになった。きっと一人で不安の中にいるからこそ小さなことでも幸せを感じる心になっていたんだろう。
時に不安が人を幸せにすることもあるのかもしれない。
しばらくしてから日本人2人が入ってきた。彼らの名前は翼さんと剛さん。32歳と37歳、2人で海外旅行にハマってるらしい。
本当はバラナシに今日つくはずだったが間に合わず宿を探していた。自分が今日泊まるホテルサンタナを紹介すると、泊まる泊まるといって同じ宿になった。
彼らは翌早朝の6時半に出ていった。
その夜ビールをその2人とそこに泊まる拓郎さんと廉太郎(東工大3年)と5人でバーコータを吸いながら喋った。
ピンキーな話からまだ真面目で役立つインドの話など様々だった。
朝や
— けんちゃん (@kengoyade2) 2019年4月11日
毎日朝が来る
でも今日はもう二度と来ない
町、人、におい、音全てが違うこの一日を身体全部で受け止め全力で味わう
もう迷わない、もう逃げない
この五感と心に素直に生きる pic.twitter.com/O8KlOvnEBo
[https://www.instagram.com/kengofujimori/p/BoCmTTPgGSb/:title=[1日目]空港出る時まじ気持ちと足が重すぎ。でも、いまは軽い。人と会うこと、話すこと。たぶんおれ大好きや。#生きる学生#半年ジャーニー#インド#findmyself]